西暦20××年、3月。
トウキョウ・セントラルシティ・センター・カレッジ。
「では、今日はみんながどの時代へ行くのか聞こうと思う。ちゃんと考えてきたかー?」
講義室の中が騒がしくなった。20人弱の決して多くないクラス。その中でも一番小柄な青年……少年と言ってもいいだろ
う……も、となりにいたクラスメイトたちと笑いあう。
「はいはい、静かに静かに。じゃあ、アオキから言ってもらおうか」
名前を言われた順から、それぞれ立ち上がる。
西暦20××年には、時間旅行というものがふつうになっていた。学校の授業でも、時間旅行(タイムトラベル)が取り
入れられ、また、修学旅行というものもあった。時空管理局というものが存在し、それらの管理もきちんとされている。過
去に関わることということは危険も孕んでいたが、それ以上のものもある…ということで、時間旅行はそれほど厳しい制限
を敷かれてはいなかった(もちろん、過去を変えるようなことは許されないが。そのために時空管理局が存在しているわけ
だ)。
ここ、セントラルシティ・センター・カレッジでは、3年間の「時間研修旅行」がプログラムに組み込まれている。これ
は「時間旅行」を授業に取り入れている学校の中では最長の期間である。
「それじゃ、最後は佐藤だな」
一番小柄な青年が立ち上がる。全員の視線が彼に注がれる。
「僕は200×年の日本とイギリスに行きたいと思います」
「ほお?それはなぜだ?」
教授がものめずらしそうに聞き返した。
「はい!僕の祖父の現役時代を見たいと思って」
「サトウの祖父……というと…まさか?」
「はい!」
にこっと笑った青年の顔が、さらに輝きを増す。
「僕は、B・A・Rホンダのスタッフとして、現役時代の佐藤琢磨をサポートしようと思います!」
青年の名前は、佐藤琢斗。実はまだ16歳の成人前の「少年」である。周囲のクラスメイトたちは二十歳を超えているが、
彼はいわゆる「飛び級」というものでこのカレッジに通っている。彼が「飛び級」で通っているのには彼自身にちょっとし
た理由があるのだが……
ざわっと室内がざわめく。
「な……おまえ、本気か?ほかの人間を見たいとか思わないのかぁ?」
「琢斗!本気かよ??」
だが、琢斗はニコニコ笑ったまま、うなずいた。本気だ……教授は琢斗の顔をじっと見て、その気持ちが本気だとわかると、
言った。
「わかった。これで全員が決めたということだな。順次、手続きをとってから3年間の研修旅行に出てもらうことになる。
全員、出かける支度を忘れないように!以上!」
「おい、琢斗!」
講義室を出た琢斗に、ひとりの青年が声をかけてくる。
「さっきの話、本気かよ?」
「本気だけど。こんなことを冗談で言えるわけないじゃないですか」
片手に抱えたファイルには辞書やら教科書やらが入っている。それを持ち直し、顔を上げる。
「三谷さんだって、幕末の日本へ行くじゃないですか。それと同じだよ」
「で、でも、他にもあるだろう?なんだってまた自分のじいさんの現役時代の……」
「だって見たいんだもん。現役時代のじいちゃん」
「……」
そのままふたりは学生食堂へと入る。お互いにオーダーしたものをトレイに載せて、窓際の席に座る。やはり、琢斗は周囲
の人々からは浮いて見えてしまう。
「俺は幕末の日本で、坂本龍馬や新撰組の動きを見てみたいって言った。ま、興味はあることだったからな」
「うん、それはわかるよ」
もぐもぐ……
「まあ、いいじゃないですか。僕には僕の考えがあるんですから」
「そりゃそうだけどさ」
もぐもぐ……ばくばく……食べ盛りの琢斗は三谷が見ている前で勢い良く食べている。
三谷は琢斗より4つ年上。最初は自分より年下の琢斗が同じ学年にいることを快く思っていなかったが、今では彼を弟の
ようにかわいがっているひとりでもある。愛嬌のある琢斗は周囲の人たちからもかわいがられているようだ。
「それよりも、おまえ、どうやってB・A・Rのスタッフとして入るつもりだ?」
「ああ、それはもう考えてあるから。ほら、僕、もともと工学系出身だし。だから、そのあたりをなんとかうまく使って…」
「でもさあ、F1って今でも最高峰のモータースポーツレースだぜ。それを……」
「大丈夫だってば。三谷さん、心配性だなあ」
軽く二人前はあるだろう、食事をぺろりと平らげると、琢斗は目の前にあったコーヒーカップを持って言った。
「なにがなんでも、現役時代のじいちゃんのそばにいたいんだ」
にこっと笑った、その笑顔。右眼下にはホクロがひとつ。
「あんまり似ているって言われるからね……でも、このままじゃバレちゃうからさ、このホクロを消して、髪の色も変え
ちゃって、眼にも度なしのカラーコンタクトを入れておくつもりだよ」
「はあん……そこまでするか」
「そうしないと、僕の素性がばれちゃうでしょ」
三谷は琢斗の「秘密」を知っている数少ない人間である。この話になると、ふたりは声が小さくなってしまうのも、仕方の
ないことだろう。
「そういう人間だからさ……それに、三谷さんも知ってる通り、僕はこれ以上、年を食わない身体をしているわけだし……
3年なんていわずにずっと向こうにいてもいいかなーなんて思うけれど」
「それはダメだって。教授が許してくれないよ」
「わかってるって。すぐに本気にするんだから、もう」
そう言うと、苦笑いして琢斗は座席を立った。
「そうとわかったら早速、準備に入らなきゃ。じゃ、先に行くね、また明日」
トレイを持ち、軽い足取りで行ってしまった。それを見送りながら、三谷は小さくため息をつく。あんな小柄な身体の、ど
こにパワーが秘められているんだろう……そんな思いを持って、彼の小さな背中を見つめる。
遺伝子操作を受けた人間はこの世の中に数えるほどしか存在しない。それは、今もまだ実用段階には遠いということを現
している。だが、琢斗はその数少ない、限られた「人種」のひとり。見た目はふつうの少年だけれど、その頭の中には大学
院クラスの知識を持ち、肉体も特殊な操作を加えられた人間。
ただ、それだけじゃないと言うこともわかっているのだが……彼自身の努力の賜物と言う話もある。決して自分の能力に
頼るわけではなく、さらに上を見据えている琢斗。それは、見習うべきところなのかもしれない。
小さな身体に秘めた大きな夢、パワー。琢斗はそれに向かって突っ走ることを知っている。
それは、彼の身体……強化された遺伝子に刻み込まれた「本能」のようなもの。
自宅に戻って、旅行の支度をする琢斗を母親は心配そうに眺めていた。それらを尻目に琢斗はてきぱきと動き回る。
琢斗が向かう先には受け入れてくれる「場所」というものがきちんと存在しているのだが、なにしろまだ十六歳の少年だ。
家族の心配は計り知れない。それも3年と言う長期間の「研修旅行」である。だが、一度言い出したら聞かない性格。琢斗
は今回の旅行先を自分で決めた。
「本当に大丈夫?」
「大丈夫、大丈夫。ちゃんと連絡も取れるんだし、なにかあったら帰ってくるって」
「それはそうだけれど……」
「あ、母さん、僕のあのシャツはどこ?いちばん気に入っているやつ……」
こうやって見ていると、ふつうの十六歳の男の子なのだが。
翌日。
大学教授が琢斗に手渡したのは、腕時計タイプの通信装置である。これが大学や家族との連絡をとるものになる。もちろ
ん、時計としての機能もあるし、通信装置、またテレポート機能なども備えている万能タイプだ。
諸注意や健康診査など細かい面をクリアして、最終ブリーフィングまでやってきた琢斗は、緊張した面持ちで時空管理局
の担当官から話をきいている。小さな携帯用パソコンを確認して…
「さあ、これで準備はOKです。琢斗さん次第で、200×年へ転送することができます」
担当官が言った。
目を閉じて、なにか考えるようにして……顔を上げて、目を開く。強い意志を備えた眼が、前を見据える。
「お願いします」
必要なものが入ったトランクケースを携え、それを持ったまま薄暗い室内に入ると足元に置く。コントロールルームには大
学教授や同級生たちが詰めており、その様子を見守っていた。
「時間軸、次元軸、空間軸、オールグリーン。転送開始まで3分」
「琢斗!」
三谷が叫んだ。
「また必ず会おうな!」
ガラスの向こうの琢斗は片手を挙げた。
「転送開始まであと2分……あと1分……」
カウントダウン。全員が緊張した面持ちで様子を見守る。
「10秒前……5、4、3、2、1…転送スタート!」
まばゆいばかりの光が溢れ、全員が眼を閉じたその瞬間、琢斗の姿は光とともに宙へと浮き、そして、消えた。
時空の旅は一瞬だ。
琢斗が次に眼を開けたとき、そこには200×年の日本の光景が広がっていた。
鮮やかなレモンイエローのレーシングスーツに身を包んだ、小柄な男が大柄な男たちに肩に担がれている。片手にはヘル
メット、片手にはグローブ。全身で喜びを現している。大観衆が彼を祝福していた。手首に巻いた万能マシンで時間を確認
すると。
「2002年10月……鈴鹿サーキットの日本グランプリ…どんぴしゃ。まさにこれがみたかったんだ」
琢斗が最初に見たかったのは、このシーン。3年ぶりの日本人F1ドライバーの凱旋、である。
「初の日本凱旋、初の5位入賞だ」
彼が出現した場所は、鈴鹿サーキットのグランドスタンド。だが、彼の出現に気づいている者は誰もいない。みんな、ピッ
ト前の、レモンイエローのスーツを着た男を見ている。
この当時、DHL・ジョーダンホンダに所属する男、佐藤琢磨。
見た目も体格も、琢斗の姿にそっくりそのまま。しかも、琢斗が会いたかった男は、琢斗の名前と一字違い。それもその
はず、琢斗……佐藤琢斗は、佐藤琢磨の遺伝子をすべて受け継いだ「セミ・クローン・ヒューマン」なのだ。
科学の化け物と言われてしまえばそれまでである。だが、琢斗は数少ない「遺伝子操作を受けた結果、生まれた人間」な
のだ。そして、数少ない「生存者」でもある。彼自身はそのことを充分、承知している。
(本当にそっくりなんだなー……)
妙な感心をしてしまったり。それから慌てて周囲を見回し、手にしていたキャップをかぶりなおす。
【琢斗、次の時代へ転送するぞ。いつまでもそこにいてはまずいからな】
大学教授の声が聞こえてきた。
「了解です。いつでもどうぞ」
小さく返事をする。大観衆の中に紛れ込んだ琢斗の姿が再び、消えた。
そして、次に琢斗が訪れたのは、2004年1月……英国・ブラックリー、B・A・Rホンダラボ。
「タクト・サトウ?」
片言の日本語が聞こえてきた。振り向くと、そこにいたのは背の高い英国人である。
「ブラウニーさん!」
「やっと、おあいできましたネー!お待ちしてましたー」
ブラウニー・フェニックス。時空管理局の21世紀担当官だ。琢斗がお世話になるひとり。ブラウニーはここでB・A・R
ホンダのエンジニアのひとりとして正体を隠して暮らしている。その証拠に彼の腕に巻かれているものも、琢斗が持ってい
る「万能型腕時計」のさらに高性能バージョン。
琢斗はブラウニー・フェニックスとともにこの時代にとどまることになっていた。ただ、ブラウニーも本来の仕事がある
ため、時々、出かけなければならない。また、琢斗は英国だけではなく、この時代の日本にも滞在する予定があるのだが、
それはまた別の担当官が受け持つことになっている。英国やサーキットではブラウニーとともに行動することが多くなるが。
「ホントにそっくりね、タクマ・サトウに」
「はは……確かにこれじゃバレちゃうよねー」
しばらく笑ってから、ブラウニーは琢斗の荷物を持って、ふたりともクルマに乗り込んだ。
「まずは、ワタシの家でしっかり変装しましょー。話はそれからデス」
「はい。よろしくお願いします」
はてさて、この物語、どういう展開になりますやら。
それは……次回のお楽しみ、ということで……
(続く)
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