ひさしぶりのオフ。待望のオフがやってきた。
 少しくらいは寝坊してもいいかなあと思い、自室のベッドの上でごろごろしている琢磨がいた。
 両親はそれぞれの仕事があるので、起こしに来る人もいない。
 家の周囲の雑音が聞こえてくる。日本独特の雑音。懐かしささえ感じる。
 クルマの音、人の声。遠くから聞こえてくるクラクション。
 マーロゥは静かだもんな……
 などと思いながら、ごろんと身体を反転させる。
「あれ、ちび?」
となりで眠っているはずのちびの姿がない。おかしいな?まさか、いなくなったとか?一瞬、あらぬ考えが琢磨の頭の中を
過る。が、よく耳をすませてみると…
「きゃはははははは!!」
庭から声がする。ちびの笑い声。
「ダメだって、ハリー!きゃははは!!」
ハリー?え、今のは?亡くなったはずの愛犬の名前だ。そんなことって……
 慌てて起き上がり、階段を駆け下りる。開け放ったリビングの向こうに、ちびと大きな犬が。
「ウォン!」
琢磨の顔を見て、大きな黒い犬はうれしそうにしっぽを振った。
「ハリー……?」
3年前、母に看取られてなくなったはずの愛犬、ハリー。
「あ、おにいちゃん!おはよ!」
「ちび?なんで?」
「うん!朝起きたらね、いたの」
ちびは元気よく琢磨にとびついてきた。それを受け止めながら、琢磨はハリーとちびを交互に見る。
 琢磨が小学生のときに、友人の家からもらってきたシェパードのミックス犬、ハリー。女の子。
 ちびとの時間枠が違うが、どうやらハリーは本物らしい。佐藤家の周囲は時間枠がおかしくなっているのだろうか?まさ
かね。
 ハリーはどこへ行くのも一緒だった。大事な家族の一員だった。琢磨とは兄弟(妹か)のようにして育ってきた。ひと
りっ子の琢磨には大事な「妹」のような存在でもあったのだ。
「おにいちゃん、おにいちゃん!」
「え?」
と、ちびの声にわれに返った。
「ウォン!」
「わ、ハリー、ちょっとまった!」
尻尾をふって、うれしそうに琢磨に飛びかかるマネをする。
「おいおい……ダメじゃないか。人に飛びかかっちゃ……」
「わー、おにいちゃん、ハリーに負けてるぅ」
どてっと床に腰を落として、琢磨は慌てて逃げようとするが、ハリーはそれを許さない。前脚を琢磨の膝の上にのせて、鼻
先を近づけてくる。ハリーの癖だった。
 その瞬間、彼の脳裏に一緒に駆け回ったことを思い出す。
「よーし、ちび、公園でハリーと遊ぼう!」
「うん!」
自宅近所の公園。平日の昼間には誰もいないので、おもいっきり遊べる。
 時間を越えてやってきた幼少の自分と、愛犬。琢磨は不思議な思いに駆られながらも、彼らと一緒に楽しむことにした。
いつか、ちびも本当の時間に戻っていくかもしれない。もちろん、ハリーも。だから、悔いがないように一緒に遊ぶのだ。
「ハリー、行け!」
ゴムボールを投げる。シェパードの血を引くハリー。ダッシュは見事だ。
「あー、ボクも、ボクも!!」
「順番だよ」
元気良く飛び回る。それを見ている琢磨の眼は、とても優しい。
 ベンチに腰掛け、はしゃぎまわるちびとハリーを見つめる。平日、冬の初めの日。今日は暖かい。
「おにいちゃん!」
「どうした?もう疲れちゃったのか?」
全身で呼吸して、ちびは琢磨のそばにやってくる。ボールを咥えたハリーもやってきた。
「おなかすいた」
「あ、そうか。なにも食べていなかったね」
ひょいとちびを抱き上げる。家に戻ろうと振り向いたとき、ハリーの姿がないことに気づいた。足元にボールがひとつ。
(ああ、帰っちゃったのかな)
なんとなく納得してしまう。ちびはきょとんとした顔で琢磨を見ている。何も言わずに、にこっと笑うと、ゆっくりと家に
向かって歩き出した。

 オフ。
 来年のことも不確定で、ゆっくりしていられないことも事実である。だが、忙しく過ごしてきた1年を振り返ることも大
事なこと。来期のこと、これからのこと……
 自分自身のことを。

 ちびが琢磨の前に現れて、1ヶ月が経った。
 もうすぐ年も明ける。師走の押し迫った街は、なにかと騒がしい。
「ただいまー!」
元気良く玄関に飛び込んできたのは、母と買い物に出かけていたちびだった。リビングでパソコンを立ち上げていた琢磨は、
ちびの声に気づいてキーボードを打っていた手を止めた。
 すっかり、家族の一員となったちび。父も母も、ちびがいることになんの不思議も感じていないのか、特になにも言わな
かった。
「おにいちゃん、これ、買ってもらった!」
「おー、よかったねぇ」
うれしそうに琢磨の前に来て見せたのは、ミニカー付のラムネ菓子だ。母がキッチンで買ってきたものをチェックしながら
笑う。
「ほんっとにクルマが好きなのよねぇ、ちびちゃんも」
「まぁ、そりゃ……僕だとしたらね」
「なに言ってるのよ、ちびちゃんはおまえなんでしょ」
お気楽に答える母。琢磨は思わず笑ってしまった。ちびはというと、リビングのソファの上で、買ってもらったものを早速
、ひろげている。真剣な顔でミニカーを見つめて、うれしそうにそれをなでている。
(いつまでいられるのかな……)
不意に目の前からいなくなってしまったら……いや、そんなことはないだろう。なにか、予告のようなものくらいはあるか
もしれない。あるかも……いや、なくては困る。突然、いなくなるなんてことはないよな。それだけは避けてほしい。
 そういえば、あれからハリーは現れないな。いちどだけなのだろうか?それもさみしいな……
「琢磨、コーヒーいれようか?」
「あ、うん」
母の言葉に返事をすると、われに返った琢磨は、パソコンのスイッチを切った。

 何気ない風景が、いちばんいい。



 (次に続きます)