「やだやだー!おにいちゃんと一緒に行くんだぁ」 「あのな、ちび……大丈夫だよ、夕方には帰ってくるから」 「やだー!」 朝からにぎやかな佐藤家。リビングで、ちびが大声で泣いている。スーツに着替えた琢磨は、困ったなあと言う顔でちびを 見た。 今日はテレビ局と雑誌の取材の関係で朝から夕方まで、家を留守にしなければならないのだ。当然、ちびは留守番という ことになるのだが……まさか、ちびを連れて行くことなんてできない。 「ね、ちびちゃん、お母さんと一緒にいましょうね」 「やだぁ!」 じたばた、じたばた。 (子供って、なんで全身で泣き叫ぶんだろうなー) などと思いながら困ったなという顔のまま、ちびを見た。 「琢磨、どうする?」 母もさすがに参ったなという顔で息子を見る。 「うーん……」 しょうがないなという顔でしばらくうなっていた琢磨は、意を決したように言った。 「よーし、わかった。ちび、一緒に行こう」 「え?でも、琢磨、あなた…」 「母さん、クルマ貸してね。ちび、顔を洗っておいで」 「うん!」 とたたたた…… 「いいの?」 「あそこまで泣かれちゃしょうがないよ。ま、なんとかなるでしょ」 そう言って、琢磨は笑った。 顔を洗って、母に買ってもらった洋服を着せて、はい、できあがり。いまや、ちびはすっかり佐藤家の一員になっていた。 「いい?お兄ちゃんの言うこと、ちゃんと聞くのよ?勝手にどこかに行っちゃだめよ」 「うん!」 本当の母のように言い聞かす。琢磨は苦笑する。むかし、自分もこうやって言われていたんだろうなー。自分の小さいとき の自分=ちびなのだが、なんだか不思議。 ちびを連れて車まで行くと、なぜかそこには父がいた。言葉はなかったが助手席をみて納得。いつのまにチャイルドシー トが……(ぉぃぉぃ)でも、まさか違反するわけにはいかない。ちびを乗せて確認すると助手席をしっかりうしろへ下げる (万が一、エアバッグが作動した場合のことを考えて)。自分は運転席に座る。普段と違うちょっと大きめのクルマ。父に 礼を言うと、クルマは勢い良く走り出した。 向かったのは、青山の本田技研工業本社。 「あ、琢磨さん。お待ちしておりました」 本田技研の担当者が、笑顔で迎えてくれる。ちびの手を引いて「ウエルカムプラザ」に入った琢磨は、一斉に周囲の注目の 的となってしまった。幸い、今日は平日で、それほど客の数も多くはない。とは言うものの、ちびを連れた琢磨というのは かなり目立つ。 「ねえねえ、あの人、佐藤琢磨じゃない?」 「うそ、マジ?……あ、ホントだー」 などという声も聞こえてくる。「琢磨スマイル」で軽く周囲の人にあいさつすると、そのまま階段を上がって会議室へと向 かった。 「あの子、一体なんなんだろ?」 ウエルカムプラザの女性たちが首を傾げる。 「あ、親戚の子だとか聞いたわ。さっき、チーフがそんなことを言っていたから」 「琢磨さんって、ご結婚されていないわよね?」 「それは確かよ。親戚の子を連れてくるのも珍しいわねえ」 などという会話がされていることは、琢磨本人は覚悟していたりして。いざとなれば、ちびは「親戚の子」として紹介する つもりでいる(それ以上、うまい言い訳はない……)。 「いいか?ここにいるんだぞ」 「うん」 「その子は?」 本田技研の社員が尋ねる。琢磨は、用意していた通り、親戚の子だと紹介した。人見知りしていたが、しばらくするとちび は本田技研の社員たちと遊ぶまでになってしまった。その間、琢磨は頼まれていたエッセイなどを担当者に提出し、雑誌関 連のインタビューを受けることにした。 「琢磨さん、下に連れて行きますよ」 そう言って、ひとりの社員がちびをウエルカムプラザへ連れて行った。 ウエルカムプラザ。 ここはホンダのショールームであり、ちょっとしたイベントなども行われる「コミュニティ・スペース」である。ふだん はバイク・クルマが展示されており、気軽にホンダ車を体験できる。また、グッズの販売や簡単な見積もりができるコーナー、 喫茶コーナーまで設けられている。 「わー、クルマがいっぱーい!」 床に下ろしてもらったちびは、大喜びで展示されているクルマに近づいた。バイクよりもクルマ。やはりクルマ好きの血はう そをつかない。 「ね、ね!これ、乗ってもいい?」 「いいわよ。気をつけてね」 運転席に座って、運転の真似事をするちびの眼が輝いている。 そのころ、別室では琢磨の取材が続いていた。 インタビュアーの質問のひとつひとつに琢磨は丁寧に答える。琢磨はマスコミ諸氏からの評判が良い。受け答えがしっかり し、自分なりの理論を持ち、それをごまかすことなくはっきりと答えるからだろう。それは育ちのこともあるのだろうが。 (大丈夫かなぁ……ちび、いたずらしていないかな…) 取材を受けている間も、ちびのことが気になってしょうがない。まだ小さいから、まさか琢磨と同一人物だなんてことは言わ ないだろうが、それよりもいたずらしていないか、人に迷惑をかけていないか、それが心配だった。 (自分の子供みたいなものだもんなぁ) 合間にふっと、そんなことを考えたりする。まるで自分の子供。いや、自分の小さなころなんだから、えーっと…… 「どうしたんです?」 「え?」 「さっきからひとりで唸っていますが」 「あー……あはははは…」 笑ってごまかす。 さて、琢磨が心配しているころ、ウエルカムプラザでは。 ひとりの青年が、ちびと一緒に遊んでいた。 「クルマもいけどさ、こっちにもおいでよ」 クルマのとなりに展示されていた大型二輪に、ちびを乗せる。青年は自分もそれにまたがった。 「きゃーあ♪」 「カッコいいだろー?」 ちびのはしゃぐ声が響いた。子供を見つめる青年の眼が、とても優しい。それを遠巻きに見ている人々。話しかけようとし ても話しかけられない…… しばらく経って、琢磨は慌てて階段を下りてきた。 「す、すみません!!あれ?ちびは……?!」 「しーっ!」 受付の女性たちが、一斉に人差し指を口にあてた。え?と思い、指を指した方向を見ると、どこかで見たことのある青年がソ ファに腰掛け、ちびをひざの上に乗せていた。よくよく見れば、ちびはすやすやと眠っているようだ。やれやれと、小さく安 堵のため息をつき、琢磨はそっと近づいた。 「あの……」 声をかけると、青年が顔を上げる。 少し長い茶髪に、きりっとした涼しげな眼。浅黒くやけた健康的な顔色。 「あ、大治郎……」 青年は、ホンダ所属の二輪ライダー・加藤大治郎だった。 「お、久しぶりだなー、琢磨。元気だったか?」 「うん」 なんとなく返事に困りつつ、琢磨は頷いた。 四輪と二輪。畑は違えど、ふたりは世界を目指す同志である。なかなか顔を合わせることもないが、たまたま、今回は顔を 合わせることができた。 「そういえば、大治郎のところ、男の子がいたんだっけ?」 「ああ」 琢磨と同世代である彼は既婚者。子供は男の子がひとり、いる。 「かわいいぞー。自分の子供ってのは」 ちびのアタマをなでながら、大治郎は言った。 「来年の3月に、家族が増える予定なんだ」 「おー、それはおめでとう。やっぱり女の子か?」 「そうだなぁ。男の子と女の子ひとりずつ、ほしいからね」 子供のことを話す彼の表情が、ますます優しいものになる。琢磨は、そんな大治郎を見ていると、ちょっとだけ、うらやまし くも感じた。ま、自分にはまだ先の話なのだが。 「あ、ごめん。ちびと遊んでくれていたんだ。ありがとう」 「いやいや」 と、ちびが眼を覚ました。きょとんとした顔で大治郎を見上げる。 「起きたか?ほら、大治郎おにいちゃんにお礼を言おう」 「うん!おにいちゃん、ありがとう!」 「また遊ぼうな」 琢磨に手を引かれ、ちびは大治郎に手を振った。ぺこっと礼をすると、ウエルカムプラザの受付の女性にもお礼をする。 ウエルカムプラザを出る直前に、琢磨は大治郎を振り返る。ラフなスタイルの大治郎が、じっとこちらを見ていた。 (またね) そういうつもりでもう一度、アタマを下げた。大治郎は、片手をあげて返事をしてくれた。 (大好きなことを夢中になれる、そんな自分たちは幸せなのかもしれない) 助手席に座っているちびを見て、琢磨はふっと、そんなことを思った。幼いころに見た夢を実現し、さらに前へと進むために、 今がある。 大治郎も、そう思っているに違いない。 いつか、世界の頂点に立つことを夢見て、前進していく。 フィールドは違うけれど……必ず、世界の頂点に。 ぐっとハンドルを握って、琢磨はアクセルを踏み込んだ。 (次回へ続きます) #74 Daijiro Kato Forever and Forever……… |