その夜。
 佐藤琢磨はひさしぶりのオフに入り、前から約束していた仲間たちの待つ店へ足を運んだ。クルマは自宅に置いてあ
る。まぁ、それには色々と理由があるのだが……
「こんばんわー」
「おお、来た来た!」
「ひさしぶりー、琢磨!」
「待っていたよ」
自転車競技時代の仲間たちが琢磨を迎えてくれた。
 オフに入ったら、一緒に酒を飲もうと約束していたのだ。今日が、その日。けっこう待ち遠しかった。
 鈴鹿サーキットの最終戦が終わってから、琢磨は忙しい日々を送った。雑誌、テレビの取材数がかなりの数にのぼり
今までにない忙しさを感じていた。一方でとてもありがたいとも感謝している。自分の活躍に喜んでくれるファンの
ためと思えば、その忙しさも苦にならなかった。
「ほーい、おつかれー」
集まった仲間たち。ひさしぶりに会う仲間もいて、店の中はかなりにぎやかだった。
 気の置けない仲間たち。
 ……そのせいか、ほろ酔い気分になるのも早かった。
「わ、ちょっとちょっと……あふれるって」
「なんだよ、しっかり持っていろってば」
「相変わらずだなー。とても世界を相手にしているとは……」
F1パイロットではない、本来の「佐藤琢磨」に戻れる。モンスターマシンのことを考えずに済む。なんでも気軽に話
すことができる……気を許すことができるのだ。

 そんなこんなで、気づけば真夜中2時を過ぎていた。

 冷たい空気が、火照った身体にしみこむ。
 仲間たちがそれぞれに解散していき、琢磨はいちばん最後にその場を離れることになってしまった。
 学生時代から世話になっているサイクルショップ「タカサワ」の店長・高沢と、話しに夢中になっていると。
「ん?」
「どうしたんです、高沢さん」
「今、子供の泣き声、しなかったか?」
「えー?いやですよ、季節外れの怪談……あれ?」
耳を澄ます。確かに子供の泣き声が聞こえる。ちょっと待て。時刻は夜中も夜中。こんな時間になんで?
 ふたりは顔を見合わせて、頷くと、声のしたほうへと歩く。街灯も必要最小限だけがついているだけで、足元に注意
しないと転びそうになってしまう。
「あた☆」
「おい、気をつけろよ」
ガランガランと缶の音が響く。慌ててそれを手にして、もとの場所に戻すと、琢磨は高沢のあとを追う。
 店の前にある小さな公園にやってきた。公園といっても地面はほとんどなく、コンクリートで固められたところ。
「琢磨、そっちは?」
「幽霊じゃないですよねぇ?」
「なんだ、お前、怖いのか?」
「いや、そういうわけじゃないですが……」
「じゃあなんだよ」
「えーっと……」
などと言っていると、また子供の声が。
「あ…」
高沢が声をあげた。
 確かに、いた。それも、まだかなり幼い少年である。ベンチに腰掛けて、少年は泣いていた。
 高沢と琢磨は、少年に近づいた。
「ボク、どうしたんだい?なんでこんなに夜遅くにここにいるの?」
かがみこんで問いかける。琢磨も一緒に座った。少年は一瞬、びくんと身体を震わせてから、顔を上げた。なきじゃく
っていたのか、顔はぐしゃぐしゃである。
「ぱぱも、ままも……いなくなっちゃったの」
泣きながら言う言葉は、確かにそう言った。こりゃ迷子か?でもこんなに遅い時間に……これは、警察に言うべきかな
とふたりは思った。が。
「ん?」
気づけば、少年は琢磨の服の裾を引っ張っている。
「おにいちゃん……」
「え、あ?えーっと」
少年の眼が、琢磨を見つめる。訴えてる……まるで捨てられた仔犬のように、なにかにすがるような眼で。
 得てして、こういうのには弱い……
「参ったな……」
困った表情で少年を見る。が、自然と琢磨は少年を抱き上げた。
「高沢さん、今晩はこの子、預かりますよ。今日は父さんも母さんもでかけているので…今夜は遅いですし、明日、警
察に行きます」
「え?あ、そうか……」
なにか考えていたのか、高沢は一瞬、面食らったような返事をした。少年は泣くことをやめて、琢磨の腕の中にいる。
 礼をして、琢磨は少年と一緒に歩き出した。そのうしろ姿を見ていた高沢がつぶやいた。
「あの子、どこかでみたことがあるんだよなー……誰だったっけなあ」
腕組みをして、うーむと唸る。ああ、じれったい。こういうときって本当にじれったいものだ。が、風が冷たくなって
きていることを思い出し、高沢はマンションの奥へと入っていった。

 てくてくと暗い夜道を歩く。街灯に影が伸びて、妙な具合になる。
 琢磨に手を引かれた少年は、時々琢磨を見上げてにこぉっと笑う。それにつれられて琢磨も笑う。なんだか不思議な
感覚にとらわれた。この少年の笑顔、どこか懐かしいという感覚にとらわれるからだ。
「さぁ、ついた」
防犯用の電灯がついた玄関までくると、琢磨は家のキーをさしこんでドアを開けた。家の中の空気と外の空気がまざり
あって、独特の匂いをつくる。少年はおどおどとした表情で玄関に立っていた。それに気づいて、琢磨はにこっと笑う
と「入っておいで」と手招きする。ぱっと表情が明るくなり、小さな靴を一生懸命ぬいで、フローリングの床の上に立
った。
 玄関の中にあったホワイトボードには、外出先と連絡先、いつ帰るかということが母の字で書かれていた。それに頷
いてから、琢磨はリビングの電気をつける。少年は琢磨のうしろに立って、中を覗き込んでいた。
「ここ、お兄ちゃんのおうち?」
「そうだよ」
「おっきいんだね」
「あ、うん」
キッチンに入って冷蔵庫の中を覗く。アルコールのせいか喉が渇いていた。ミネラルウオーターのボトルとオレンジ
ジュースのパックを見つけた。
 グラスを持ってリビングに戻ると、少年が眼を輝かせてなにかを見上げている。リビングの片隅には、琢磨が乗った
モンスターマシン・ジョーダンEJ12のパネルが飾られている。少年はそれを見ていたのだ。
「気になるのか?」
「すごぉい!おにいちゃん、これ、なぁに?!」
「これ?これはね、フォーミュラーっていうクルマなんだよ。すっごく速いんだ」
「ふ〜ん……これ、おにいちゃんが乗っているの?」
「うん」
そう言いながら、グラスに入ったジュースを差し出す。
「はい、喉、渇いているでしょ」
「うん!」
両手でグラスを持って、こくこくと飲む。よほど喉が渇いていたのだろう。琢磨もミネラルウオーターを流し込んだ。
「そういえば、まだボクの名前、聞いてなかったね」
と言うと、少年はじっと琢磨を見つめた。
 純粋な眼。曇りのない眼。
「ボクの名前は?」
「さとうたくま!」
「へぇ、そうなんだ、さとうたくま………って……」

 ええええええええええええええええええええっ?!?

 真夜中の住宅街に響く琢磨の悲鳴(?)!!

 さとうたくま、と名乗った少年は、グラスの底に残っていたジュースを全部飲み干して、また琢磨を見た。
 よくよく見れば……自分のトレードマークにもなっている、右眼下の小さなほくろが確認できる。それに、服は自分
が子供のころに気に入っていたもの。さっきからどうもヘンだ、懐かしいと思っていたが……もし、少年が自分自身だ
としたら、合点がいく。
「どうしたの、おにいちゃん?」
不思議そうに琢磨少年が見上げている。
 驚きのあまり、呼吸をすることも忘れそうになった琢磨は、慌てて我に返った。
「そ、そうなんだ。へー、たくまくんっていうの……」
が、次に琢磨少年を見ると……眠いのか、グラスを持ったままうとうとしている。やっぱり子供なんだな……
 立ち上がり、ひょいと抱き上げる。この少年が本当に自分自身だとしたら。
 起こさないように、抱いたまま階段を上がって、自室へ。
「むにゅ……」
そおっと自分のベッドに下ろす。すやすやと気持ちよさそうに眠ってしまった。まぁ、この時間だしなぁ。
 眠っているちびたくまの顔を見つめる。
 本当に小さいときの自分だとしたら……なんで、ここにいるんだろう?ふつうは考えられないよなぁ、こういうこと
は。あ、でも……鈴鹿サーキットでセナに……アイルトン・セナに出会ったんだっけ……絶対にほかの人には言えない
出来事。もしかして、これは、その続きなのだろうか?
「まさかね……」
小さく呟く。
 でも、参ったな。明日、両親が帰ってきたらなんて言えばいいんだろう。
「うーむ」
まぁ、なるようになる……かな。
「僕も寝るか……」
そう言うと、琢磨もちびたくまのとなりにもぐりこみ、目を閉じた。

 静かに瞬く星が、彼らを見ている……


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