Vol.11
〜Outside of a Standard≪ta・ku・ma≫〜


「うあああああああああああああああああッ?!」
全身に流れる特殊な電流!琢磨の身体を突き抜ける!
 絶対に負けたくない。自分のため、自分が生まれてきた理由を知るためには、ここで負けるわけにはいかないのだ。弱音
を吐くわけにはいかないのだ。
 自分のために、自分自身のために……!

 その瞬間、琢磨の両腕・両足首に埋め込まれた「リング」が「反応」する!

『ウワッ!!』
琢磨の全身が青白い光に覆われ、彼を押さえつけていたジェイの手をするりと抜け出す。光に包まれたまま、琢磨は空中に
浮かび、自分自身を抑えていたジェイを見下ろした。
『タクマ……!!』
「絶対に、あんたに捕まるわけにはいかないんだ」
真っ赤な眼がジェイを睨みつける。燃えるような赤い眼で。鬼気迫る表情は、決して他の人間の前では見せない……琢磨が
≪ta・ku・ma≫として見せた初めての表情。
「レースの前に手を出さないと言ったはずなのに…信じた自分がいけなかったな」
『………』
「僕は僕のために……ジェイ、あんたを手にかけることだってできる」
『私の部下を爆破に巻き込んだときのように、か?』
ニヤリとジェイが笑った。
「そうだよ。僕と神谷さんを消そうとした、あのときと同じようにね。でも、今はやらない。あんたと違って約束を破るよ
うなことはしない。今は……≪ta・ku・ma≫ではなく、佐藤琢磨としていなければならないのだから……」
地面から浮いたままの琢磨の姿を、ジェイはしばらく眺め、それから言った。
『All light。わかった。今日はこのまま退散したほうがよさそうだ。タクマを本気にしないためにも、ね』
そう言うと、ジェイはその場からかき消すように消えた。
『だが、忘れないでいてくれたまえ。私たちは、きみを実験材料として欲していることを。明日はいいレースをしてくれる
ことを祈っているよ、タクマ・サトウ』
消える直前のジェイのセリフ。琢磨は宙に浮いたまま、その言葉を聞いた。
「…………」
青白い光球になり、琢磨の姿は鈴鹿サーキットの遊園地エリアへと向かう。スタッフやクルーたちの一部が光球に気づいた
が、幻のような一瞬の出来事に思えただろう。光球はフラワーガーデンホテルの方向へと飛び去り、窓の外からそのまま部
屋の中へと飛び込んだ。
「っ!!」
ドサッと床に崩れ落ちる。その瞬間、人間としての琢磨の姿が現れた。全身で呼吸をするように、軽く喘ぐと、必死にベッ
ドまで這い上がり、そのまま着替えもせずに転がった。ぐったりと……本当に全身から力が抜けたようだ……
「う〜……」
明日には大事な予選が控えていると言うのに。
 ごろんと身体を仰向けにする。真っ白の天井を見上げ、手足を投げ出し、琢磨はふぅっと深呼吸した。でも、いつまでも
このままでいるわけにもいかず、起き上がってシャワーを浴びようとバスルームへと入る。よく見れば、着ていた私服がボ
ロボロになっていた。あのときの「電流」はよほど身体に響いたようだ。両手首と両足首に埋め込まれた「リング」は、服
を着ていない状態だと嫌でもわかる。それらを振り払うようにぶるっと首を振って、バスルームに入ると、蛇口を思いっき
り捻った。
「ふぅ……」
少し熱めの湯が全身に気持ちよく降り注ぐ。鍛え上げられた身体に、湯が伝い、しずくとなって床に流れていく。眼を閉じ、
全身を解放されるような気持ちよい感覚。
「でも……あのときの感覚は……今までなかった……」
わずか1時間も経たない、さっきの感覚。両手首と両足首の「リング」が反応して、自分が青白い光球になった瞬間を思い
出す。
 今まではなかった、あのようなことは。自分がふつうの人間ではないと言うことは前々から承知していたことだったけれ
ど…本当の意味での「危険」を察知すると、マシンチャイルドとしての「本能」がオモテに出てくるのだろうか。宙に浮き
上がった自分、光球になった自分……
 まだなにか隠されているような気がする……この身体の中に。
「僕は、なんのために……造られたんだろう」
素朴な疑問。だが、琢磨には最大の「謎」。マシンチャイルドとしての……意味。なぜ、この世界に、たったひとりのマシ
ンチャイルドとして生かされているのだろう。
 ザアアアァァァァァ……
 湯の流れる音を遠くに聞きながら、琢磨はその「意味」を考える。だが、すぐには答えは出ないことくらい、わかってい
た。自問自答しても、すぐには出ない「答え」だということを。
「それを見届けるためにも、今はがんばらないといけないんだよ……」
自分自身の存在の意味を確かめるために。
 着替え終えて、ベッドにふたたび寝転がる。時刻は23時を過ぎていた。
(明日は……佐藤琢磨として、走るんだから……)
無理矢理に眼を閉じる。今は明日のレースのことだけを考えたいから。

 窓の外には星空。
 鈴鹿サーキット上空は……晴れ。

 翌朝。ホテルのダイニングルームに行くと、色とりどりのチームユニフォームに身を包んだ各チームのスタッフたちに混
じり、琢磨もバイキング形式の食事をとる。朝は軽めの食事。昼も予選が始まる1時間前にはとるようにしている。
 予選ということもあるのか、スタッフたちは気を遣ってあまりドライバーたちには話しかけないが、琢磨自身はリラック
スした表情で……食べていることがわかる。
「モーニン、タク」
「おはよう」
声をかけてきたのはメインマネージャーのアンドリュー・G・スコットだった。
「昨日の夕方に携帯に電話したのになかなかでなかったなあ。寝ていたのか?」
「え?そうだったの?」
しまった……携帯の着信、確認してない……
 アンドリューは琢磨の「正体」を知らないので、迂闊にものを言うことも出来ない。
「よほど日本の空気はタクに合っているんだな」
「そりゃ自分は日本人だもん。日本に来ると安心するよ」
苦笑いする。となりでアンドリューも食事を取る。
 ダイニングルームには日本人と外国人が入り乱れ、かなりの混雑ぶり。
「タク」
「え?」
「なにかあったのか?」
「いや、なにも……」
「そうか。だったらいいんだが」
アンドリューの言葉に、少々びくつきながら琢磨は返事をした。それから、カップに入れてあったコーヒーを軽く飲み干し、
立ち上がる。
「期待しているよ」
「ありがとう。がんばるからさ」
と、少しだけ茶目っ気を含めたウインクをして、琢磨はダイニングルームを出た。

 鈴鹿サーキット上空は少々曇が出ていた。朝、軽く雨が降ったのか、路面はウエットである。
 今日は大事な予選。久しぶりの実戦である。ずっと、ずっとこのときを待っていたのだ。
 B・A・R005のタイヤチョイスは琢磨自身によるもの。カーナンバー16のマシンには琢磨の名前と国旗と血液型を
書いたステッカーが貼られている。
 もうひとりのドライバー、ジェンソン・バトンのマシンのタイヤも琢磨が選んだものである。
「落ち着いていけよ、タクマ」
少々嫌味を含めているのか、ジェンスの言葉に嫌な響きを感じ取る。だが、それには簡単に返事をしただけで、相手のペー
スに乗らないようにと琢磨は自分に言い聞かせた。自分を保つことが大事なのだ。
 担当エンジニアのジョック・クリアとの打ち合わせも滞りなく進み、いつものようにマシンの左側から乗り込んだ。
「さあ、行こうか、相棒」
鈴鹿サーキットにマシンサウンドが響き渡る。大事な予選、明日のための、そして来年のための大事な予選。鈴鹿サーキッ
トの大歓声が琢磨にも聞こえてくる。彼の乗ったマシンがコースに飛び出すと、大歓声のウエーブが沸きあがる。
 みんなが待っていたのだ。琢磨が、マシンとともにコースに戻ってくる、その日を。
 B・A・R005の調子も上々。エンジンも気持ちよく廻っていることが、ステアリングを通じて伝わってくる。
 自分の庭同然の鈴鹿サーキット。かつて、F1に参戦することを目標に、日々、精進していた場所。自分が初めてコース
に出たのは自転車競技に没頭していたころのことだった。今は、その何百倍ものパワーを持ったモンスターマシンを操る。
 フリー走行を終えて、午後にはいよいよ予選が始まる。

 何事もなく、最後まで走りきることができればいいのだが……



                                           (続く)