Vol.10
〜Outside of a Standard≪ta・ku・ma≫〜
フリー走行1回目に入る。
レーシングスーツに着替え、少し緊張した面持ちでマシンのとなりへと歩く。イヤホンをセットし、マスクをかぶって、
首元を確認し、スーツのファスナーを完全に上げてからマジックテープになっている部分をしっかり留める。その上からヘ
ルメットを被って、水分補給用の管を確認。
「タク、準備はいいか?」
無線を通じて、ジョック・クリアが声をかける。マシンの左側からコクピットに座る。特に意識しているわけではないが、
いつも左側からマシンに乗ることにしている。目の前に下げられたモニターを見つめ、次々に送られ
てくるデータを瞬時に判断して頭の中で分析を繰り返す。このときは「マシンチャイルド」ではなく、「F1ドライバー」
としてモニターを見ているのだ。
「ずるい手は使わない。スポーツマンシップに反することはしない」
それは自分で決めたこと。
(頼んだよ、相棒)
頭の中でB・A・R005に話しかける。
ステアリングを握る。ガクンという軽い振動がして、エンジンに火が入った。その直後、全身に響いてくるサウンド……
(そうだよ、これだよ、これ!!)
ヘルメットの下で思わず顔がにやけてしまう自分を意識しつつ、琢磨はピットクルーの合図とともにギアを入れてアクセル
を踏み込んだ。
琢磨のマシンがピットを飛び出す!!
急遽合わせたセッティング、全部が全部、琢磨仕様ではない。だが、その中から自分に合ったものをみつけ、それに対応
していかなければならないのだ。
『≪ta・ku・ma≫』
突然、B・A・R005が意識を同調(サイバーライド)させてきた。
『どうした?』
『誰カガ、邪魔ヲシテイル』
『え?』
最初のセッションだったので、とりあえずはマシンの様子を見ながら操縦していた琢磨は、B・A・R005の言葉に一瞬、
どきりとした。だが、今は走行中。妙な動きはできないし、まさか途中で停まるわけにもいかない。
そのままマシンを走らせる。
『邪魔というか……誰か見ているというのかな?』
『ソウ、ソレダ』
ピットから入ってくる無線(ラジオ)を気にしながらも、琢磨は周囲の雰囲気をも探る。コース上にはとくに問題はない。
『ジェイ……』
不意に思い浮かんだ男の名前。ジェイ。男はそれだけ名乗った。それが本当の名前かどうかはわからない。
ただ、わかっているのは、ジェイが自分にとっては「危険な存在」であること。
「タク、タクマ!なにをしているんだ?!聞こえているのか」
無線から聞こえてきたデイヴィッド・リチャーズの声に、琢磨は気づく。さきほどから何度も呼ばれていたようだ。なにご
ともなかったように琢磨は返事をした。
「Yes」
「どうしたんだ?返事がないぞ」
「すみません……大丈夫です。なにもありません」
「どこか調子が悪いとか、なにかあるのか?」
「いえ。大丈夫です」
同じ言葉を繰り返し、半ば強制的に無線の言葉には押し黙る。B・A・R005も、それから特にサイバーライドしてくる
ことはない。今は……佐藤琢磨として走っているのだから。
フリー走行が終わり、クルーたちとの話しを煮詰め……おなじみのスケジュールをこなしていく。ただ、今回は母国グラ
ンプリでもあり、そして急遽参戦することになったため、なにかとイレギュラーなことも多発している。その合間を縫って、
琢磨は鈴鹿サーキットのとある場所へと足を運んだ。
すでに陽も暮れて、鈴鹿サーキットはしんと静まり返っている。観客席にも誰もおらず、見えるのは場内掃除をするスタッ
フや各チームのスタッフ、クルーたち。遠くからファンの声らしきものは聞こえてくるが、場内には姿は見えない。
「……」
カシオトライアングル。どちらかというと、シケインといったほうがいいかもしれない。独特の形をした場所。今年、この
場所は改装された。とある「事故」がきっかけで。
志半ばで天に召された「彼」のために、琢磨は眼を閉じる。
そして……眼を開ける。
眼を開けて。
すうぅっと深呼吸する。
くるりと踵を返し……ぎょっとなった。
「ジェイ!」
自分の真後ろにいたのだから、驚かないほうが無理だ。琢磨は一瞬、言葉を失い、一、二歩、後ずさりする。
『やあ、タクマ』
「なんで……ここに…」
『さっきからずっと見ていたよ』
「は、まるで見張られているみたいだな……」
ジェイはシケインのあたりを見回し、それから琢磨を見た。静かに揺れるアイスブルーの眼。琢磨は自分の意識をマシンチャ
イルドとしてのものへと切り替える。真っ赤な眼に。
『誰の冥福を祈っていたんだ?』
「とぼけなくてもいいんじゃないか?」
あえて冷静を装い、琢磨は答えた。フッと皮肉めいた微笑を浮かべ、ジェイは琢磨を見下ろす。そこそこ、身長差があるの
だ。
遠くから聞こえてくるのはサーキット特有のざわめき。
琢磨はジェイの動きを見逃すまいと神経を尖らせる。ジェイは、そんな琢磨を楽しんでいるように思える。
『心配はいらない。大事なレースの前だ。余計なことはしないさ』
「それはどうかな」
『そんなに私が信用できないか?』
「ああ、信用できないね」
と、再び、ジェイは口元に微笑を浮かべた。
「なぜ、あなたは僕を追いかける?」
『それは自分自身に聞いてみればいい。タクマ』
「……僕は確かにふつうの人間ではない。でもそれだけだ。今は、ふつうの人間として過ごしているつもりだよ。だから……」
『でも、タクマ、きみは自分の本当の能力に気づいていないだけだ。こんなところで埋もれるには惜しいんだよ』
本当の能力、本当のこと。わかっているつもりだ。もともとは戦うための兵器として開発されたマシンチャイルド。だが、
それがやがて「よき隣人」としての目的へと変わったこともあるが、基本的なことは変わらない。人間の形をした「兵器」。
たったひとりの成功例。たったひとりのマシンチャイルド。それが、自分だということを。
「こんなところ、ね……F1の世界は「こんなところ」ではくくれないと思うんだけれど」
今の自分がいる世界をコケにされたような気がして、琢磨は思わムキになってしまう。
『きみはまだ……たくさんの謎を秘めている。それらに気づいていないだけだよ』
「だったら、それでいい。気づかなくてもいい……本当の自分なんて、自分だけが知っていればいいことじゃないか」
『そうかな?』
と言うと、ジェイは素早く琢磨の背後へと周る。
『ならば、その能力に気づかなければ損というものではないか?』
「ひっ!!」
両手を取り、捻りあげられる。
『きみを造り上げたドクターは……きみにどれだけ力を注いだのか…その最高傑作たるきみをほうっておくわけにはいかん
のだ』
「やめっ!離せっ!!」
ものすごい力だ。
「ぐあっ!?」
バシュッという音とともに、全身に電気が流れる!
「うわあああああああぁぁぁぁっ!!」
『ここから逃げるか?それとも、私の言うことを聞くか?ふたつにひとつだ、タクマ!!』
全身を突き抜ける電流は、琢磨にしか効かない特殊な電流。それを、ジェイは最高出力で浴びせているのだ。琢磨が悲鳴を
上げるのも無理はない。
でも、ここでギブアップするわけにはいかない!
自分自身のため、自分が生まれてきた理由を知るため……そして、今の自分自身のために!
絶対に負けたくない。負けることはできない。
だから……絶対に弱音は吐かない!!
その瞬間、身体に埋め込まれた「リング」が「反応」する!
(つづく…)
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